『トゥ・ザ・ワンダー』
STORY
ニール(ベン・アフレック)とマリーナ(オルガ・キュリレンコ)はフランスの小島、モンサンミシェルにいた。故国であるアメリカを離れ、フランスへやって来た作家志望のニール。彼はそこでマリーナと出会い、恋に落ちる。10代で結婚し娘のタチアナをもうけたマリーナは、ほどなくして夫に捨てられ、いまや望みを失いかけていた。そんな彼女を闇から救ったのがニールだった。「あなたとならどこへでも。一緒に過ごせればいいの」2年後、彼らはアメリカへ渡り、オクラホマの小さな町バードルズルで暮らしていたのだが・・・。
映画界の伝説、テレンス・マリック。40年以上のキャリアで監督作品が6本と寡作ながら、これほど評価の高い監督も珍しいだろう。哲学的かつ宗教的なテーマを、難解な展開と描写で表現し、圧倒的な評価と同時に、難しい!と観客に大きな困惑も与えた『ツリー・オブ・ライフ』の存在が記憶に新しい。旧約聖書ヨブ記を想起させる、困難な人間の生き様において、我々がどのように向き合っていくのかを描いた同作は、その映像世界と共に、深く心に刻まれた。充分な睡眠を取った人も多いのも事実だが。
そんなテレンス・マリックが新作を撮った。『トゥ・ザ・ワンダー』は、人間の愛の困難について描いている。人が人を愛する事は、決してそれだけではいられない。表裏一体のように存在する憎しみ、そして気持ちの移ろい。その姿を、断片的に切り取られた日常で描く。たわいもないそれらのシーンのすべてが神々しく、我々の生きているこの毎日が奇跡であることを感じさせる。テレンス・マリックの近作続けて撮影監督をつとめたエマニュエル・ルベツキの撮ったこれらの画は、繰り返し行われる日常の営みに神の存在を感じさせる。テレンス・マリックの描きたいテーマを体現するのに最適なパートナーだろう。
極端に言うと、この作品でストーリーを追う事にそれほど大きな意味はないのかもしれない。断片化された本作のパーツから、誰しもが経験下であろう人を愛する心の移ろいを感じ、それぞれの記憶に当てはめれば良いのではないか。その中にこそ人間の真実があり、テレンス・マリックの表現したいテーマが投影されている。ただ、スクリーンに映し出される奇跡に身を委ねれば良いのではないだろうか。
『トゥ・ザ・ワンダー』
“『トゥ・ザ・ワンダー』” への29件のコメント
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『パスト ライブス/再会』
お問い合わせ/映画の天才委員会(中井圭・石田文子・田尻博美)
テレンス・マリックは「シン・レッド・ライン」以来だったんですが、今回の「トゥ・ザ・ワンダー」は「天国の日々」を彷彿とさせるマジックアワーをフルに使った映像美が素晴らしかった。草原のシーンなどまさに「地獄の逃避行(内容には全くそぐわないひどい邦題!)「天国の日々」ですね。変わらないって素晴らしい!112分があっという間でした。上映前にロジャー・エバートの批評を読んでしまって難解なんだと警戒しましたが全然そんなことなかった(かえってそれが良かったのか?)。静かで美しい、愛の儚さを描いた映像詩ですよね?違った?ただこの機会がなければ劇場に足を運ぶことはなかったかもしれません。そういう意味で久々にテレンス・マリックに出会わせてくれた変態試写会には感謝です。ところでなぜタイトルが”TO THE WONDER”なのか?驚異、未知なるものへ?そう言えばずっとカメラは奥へ奥へと移動していましたね。何かに向かって。扉を開けて覗いて行くようなそんな感覚にも囚われました。すいません、こんなコメントでよろしいでしょうか。初めて参加しました。今後ともよろしくお願いいたします。
まるで美しい光の織りなす風景の写真集をめくっていくように映像がながれ、
ページとページの間で人間が背負う明暗、強さ弱さ対局な人生葛藤が淡々と
言葉少なげに展開される。
監督の美的感覚が盛り込まれた美しい映像と共に。
映像の中の光が儚く美しかった。
とにかく映像がとても美しい。自然の描写や光の描写は見ているだけで夢見心地です。
ラブシーンの撮り方の視点が面白いな〜と思いました。
一瞬一瞬の、心のきらめきや、その時の人の感情が情景としてわかりやすく描いてあると思いました。
ストーリー全体は、映像のわかりやすさとは相反して答えは視聴者に委ねられている感じでした。
根底にあるとても大きなテーマにフォーカスが当たっているので、凄く抽象的。
見る人によって解釈の違いが出てくる感じになりそう。
好き嫌いは分かれそうですが、そこら辺もこの映画の面白さなのかなと思いました。
「愛」の根幹を描いた素晴らしい映画です!
台詞は必要最低限で、こんなにも伝える事が出来るんですね。
構成・展開も非常によく練っていて、思わずうなってしまいました。
あと、圧倒的な映像美。
多分、1フレームどの部分を切り取っても、素晴らしい写真を見ているような
そんな静止画になると思います。
たしかに、難解でした。でも、全てを理解する必要なんてないんだと思います。
映画を観ながら、こんなに様々に思いを巡らせたのははじめてかもしれません。しかも映画のことではなく、主に自分自信のこと。
難しく構えないで、美しい映像と音楽、そして登場人物たちの心の動きに身を任せて観るのが良いのかもしれません。
テレンス・マリック監督の作品は、初めて見たのですが、不親切なまでに説明を省き、
心理描写のみの少ないセリフとナレーションで構成しているのは、
最近の説明過多の映画に比べて、凄くおもしろく見させて頂きました。
あれこれ考えずに感じるままに、絵画でも鑑賞するように見た方が良い映画ですね。
きっと、2、3回と見ると色々な発見が出てくる映画なんだと思います。
観る”詩”でした。世の中にはびこっている整然とした論理をいったん忘れて、感覚を研ぎすまして観るものだと思いました。映像と音楽が美しすぎると、人は睡魔に襲われるのでしょうか、同じタイミングで繰り返される台詞も相まって、何度か、気持ちよく寝たくなりました。
監督は恋多き人だったんでしょうか。
人間の正も非も描いた恋愛の聖書のように感じました。
前半、二人の愛の時間が美し過ぎてもう…かのモンサンミッシェルが霞むほどでした。
少ないセリフであのインパクト、美しさを描けるのはさすがです。
眩しい光のような愛、そして憎悪も強い愛なんだと気づかされる描写にやられました。
愛情というのは、浜辺の砂みたいなものなんですね。
両手ですくうと、初めは重たいくらい乗っているのに知らないうちに指の隙間からどんどん落ちて、やがて手の上の砂が少なくなって。
限りない愛を語る前半、愛は有限だと知る後半、役者二人の表情が緻密。
憂いが加わって、光と影の上質な愛の物語になっていました。
テレンス・マリックの映画は、何か大きなものに見守られているようで心地よいですね。
ストーリー性を望むと誰にでも分かりやすいものではないですが、普遍的なテーマではあると思いました。とにかく美しかった!
本当に綺麗で美しい…リアルなんだけど音楽や映像で叙情詩のような映画でした。
観ているわたしも、どこか…遠いところから眺めているような印象。
人生の大切な瞬間や日常、取り巻く自然や動物の描写…とてつもなく大きな愛情を降り注いでいる、大いなる存在を感じて。
終了後の余韻が静かで、それが徐々に心のなかで痺れるような感情が寄せて、なぜか感極まり…軽くトランス状態。
不思議な『何か』に心酔されました。
今もまだ、透明な海のなかを漂っているような状態が続いてます。
今回はお招き頂きありがとうございました。
見終わった後、圧倒的に印象に残るのがやはり
映像の美しさでした。撮る目線の面白さも同時に感じ、壮大なスケールで思わず行ってみたくなる程でした。
ストーリーの伝え方全てが間接的でとてもナチュラル、まさに右脳を使わせて貰った感覚でした。
世代によって感じる事が変わりそうな映画だと思いました。
記憶の断片をつなぎ合わせたような映像が展開されるので、ストーリーを追おうとすると頭に「?」が連発します。
なので、この映画の養分を余すことなく堪能するには開き直って夢見心地のふわふわした気持ちで観るのが一番かなと思いました。眠くなるかもしれませんが、それは退屈だからなのではなく心地よいリラクゼーションのように作用しているのだと思えば罪悪感なく楽しめそう。
映画は電車の中のシーンで始まりますが、スタッフロールの最後に電車の音だけがいつまでも響くという終わり方がとても象徴的に思いました。
美しい映像と叙情的が心地いい。
「愛」という生き物の光と闇をのぞきみた気分になりました。
永遠の誓いも時の流れには翻弄される。
ひとは永遠、孤独と戦っているんだなと少し恐くなりました。
夢の中で水とか光とか。
とても心地よい眠りのなかで、
愛ってこんな風にみえるのだと思いました。
壮大な生命進化を扱った前作「ツリー・オブ・ライフ」より地に足が付いた恋愛を扱う今作も、共通するのは宗教。躁鬱のように明るい断片と暗い断片が反復される。ワーグナーやチャイコフスキーの音楽も、反復をスパイラル状に増幅させるのに重要な役割を果たしている。暗い断片が思い起こさせるのは、キリスト教の「原罪」だ。ハビエル・バルデム演ずる神父や教会は、恋愛=甘さの対象ではなくそれと切り離せない葛藤を抱えたカルマの重層的存在として描かれている。
夢の一部のような今作を説明するのは難しいし、内容も(表層からは)忘れてしまうだろう。しかし、何かのきっかけでエドワード・ホッパーの絵のような住宅街を思い出すかもしれない。マリーナがラストシーン、振り返った瞬間にグレーに染まったモンサンミッシェルを思い出したように。
この映画のベンアフレックに深くシンパシる男性は僕だけではないだろう。
彼のドキドキ、ムラムラ、イライラ、ふわふわ・・・
多くの男性が(あのベンアフレックは俺だ・・・俺はベンアクレックだ!)
と思うことだろうが、それはイケメンの方以外は口にはしないほうがいい。
ウェットな感じのパリと、カサついた感じのオクラホマという、舞台のコントラストが印象的でした。そのガラリと変わる舞台とは反対に、二人の愛はゆっくりと変容していく、、、その様子が丁寧に描かれていると感じました。
重苦しく切ない気持ちになりましたが、美しい映像に包まれていたせいか、観終わったあとの心地よい疲労感がよかったです。
マジックアワーや自然の映像美が素晴らしい。
そして、ほとんどカメラを手持ちで撮影する事で
世界観に入りやすいようにしているのだと思いました。
映像・音楽・キャスト・etcどれをとっても素晴らしかったです。
撮影期間は確か2カ月ほどだったと書いてましたが、その間に本当にこんだけマジックアワーがあったんだろうかってくらいマジックアワーの連続です。
とにかく映像が美しい。
圧倒的な美しさです。
ストーリの方は、断片的なシーンだけで構成され、極限までそぎ落とされてるのに、なんとなく伝わってくるのがまたすごいです。
ベン・アフレックなんて、セリフがあるシーンがほとんど記憶にないくらいです(笑)。
夕日評論家(いたな、そんな人)のように、ただただスクリーンを見詰めた2時間あまりでした。
冒頭のシーン以外、全編とおしてさしたる特徴もないアメリカの田舎の風景なのに、夢を見ているような美しい映像と音楽。どこまでいってもまったく感情移入できない客観性。そして、最後に感じたもの凄い孤独感。これこそ映画にしかできない表現かもしれない。なんとか最後まで落車せずに見きりました!
ふわふわとした、でも妙にリアルな夢を見ているかのような
現実離れした美しさの映像に圧倒されました。
初めは理解しようとして??がいっぱいでしたが
あれこれ考えを巡らすのをやめて
感じるままに映像を眺めていると
あっという間に2時間経っていました。
切なくても、苦しくても、それもまた美しくて
見た後に不思議な充足感が残る、そんな映画でした。
スクリーンで観られて、よかったです。
お招きありがとうございました!
観ている間中、アントニオーニを思い出した。
愛の不毛を描いたと言われる、あの、さっぱりわからなくて、
我慢してみた記憶の映画「太陽はひとりぼっち」・・・。似ている。
①難解②風景がむやみに美しい③重い語り・・・。
「赤い砂漠」の工場と「トゥザワンダー」の公害も。
モンサンミッシェルの瀬にずぶずぶ入って遊ぶ冒頭のシーンと、
公害の排水って、なんの対比なんだろ、うーん。
ハビエル・バルテルがいつ切れるかと思って期待していたんだけれど、
神との対話ばかりしていて江守徹にしか見えなかった。
「天国の日々」もリチャードギア様目当てにみた私には、つらかった。
もっとストーリーに起伏があって欲しかったです。
寡黙な男と、その寡黙な男をココロとカラダで溺愛する女達、というだけで相当ハイレベルに共感できないわけです。僕は。だから、関係ないけど高倉健も北野武も、どうにも苦手。それだからこそ、客観的にじーっと眺めてみることのできた映画でした。一度も落ちないで。バイソンの群生シーンや、マジックタイムの家並みなど、少なくとも7カットのきわめて美しい画に唸りました。動き回る手持ちの映像編集に、少なくとも13回は脳が刺激されました。これは、だれかの人生の「記憶」の断片を、見せられていたわけですね。音も、声も、記憶の底から聞こえてくるような、意味なんてどうでもいい、ただ喜怒哀楽の質感にずぶずぶになった切れ端で。あ、でも、翻訳された言葉の意味は薄っぺらかったな、興ざめでした。あ、あと、音楽が、ひたすら不快でした。それも、意図的なのかもな。肉声やSEのリアリティを対比的に醸し出すためにね。ま、全体的に、エンターテインメントじゃないから、面白くは、なかったです。でも、もしかしたら、何年かしたら、この映像の記憶を、自分自身の記憶と間違ってしまったりするのかもしれないな。「なんかさ、バイソンの群れに囲まれたのよ、クルマで。多分アメリカだったんだけど…」とか。
映画を観ているというより、神(というより大気?)になって人間を眺めているような不思議な体験でした。大気になって、気に入った美しい男女の人生の周りを浮遊しながら「あぁ、世界は美しいな。人間は美しくて移ろいやすくて儚いな」と思いながらしみじみと眺めていました。
そして、人って満ち足りたいと望みながら、ずっとどこかに孤独を抱えて生きていくんだな、と。ちょっと悲しいけど、すごく共感したかも。
「ストーリーを追おうとせず、ただ感じること」「起承転結の転桔があると思わないこと」という前置き付きでこの世界に身をゆだねると、希少な素晴らしい体験ができると思います。嫌いじゃないです。
テレンス・マリックの偏執的なまでの夕景へのこだわりは、一日の終わり=人生の終焉を常に意識させ、断片的につながれたショットの数々は今際の際に浮かぶ走馬灯を想起させる。
こんな風に、死に際にフラッシュバックするのは案外、日常の中にあるとりとめもない風景の羅列なのかもなぁなんてことを思いながら。
でもその何気ない日常のカット全てがため息が出るほど美しく、あまりの神々しさに思わずスクリーンに向って手を合わせそうになりました笑。
情愛という最も本能的、かつ最も理性的なモノへの熱望、落胆、把握、放棄といった人間の動きを主軸に、温かさの裏に常に存在する冷淡さや、ぞんざいさに苛れる人間の孤独がとても静かに、だけど強く描かれていた作品でした。
時々で登場する物質的存在がもちろん言葉は発さないのだが、多くを語り、それにより物語全体の哀愁感を際立たせています。
「誰かを愛するということ」への恐れ、戸惑い、葛藤。
目をそらしたいものだけど、確かに誰しもが抱くのであろうそれらの感情に陽をあてることで誕生する陰に私たちは何を感じ、何を得るのだろうというという問いを投げかけてくれました。
とにかく、美しい。。ゆっくりと流れる海。空。空気。音楽。
そしてキャストも、透明感のある演技が素敵でした。
今までの映画の天才、変態!の作品とはまた違う感動をもらいました。
恋人と手をつないでソファーでもう一度観たい映画ですね。
難解と聞いていましたが、そうですか?実にシンプルでストロングな映画と感じ入りました。ハッキリと好きです。昔、パリから車を飛ばしてモンサンミシェルに行った事がありますが、確か武装教会だったんですよね、あそこ(違ったらスミマセン)。冒頭のモンサンミシェル、綺麗なだけじゃ全く無い矛盾しまくった一筋縄では行かない雰囲気が蘇り、続くオクラホマの郊外のこれまた写真家Hさん的な(?怒られるかしら?)不穏さからしても僕の脳味噌はシャープに立ち上がりました。ちょっと驚いたのは、同じく先日試写で拝見した宮崎監督の最新作と(これ、問題ないですよね?公開されましたし)妙に類似した感情が沸き起こった事でした。太陽の光が滑る美しい大地、救いを求める人の彼方に輝く太陽。アニメーションながら背景美術に対するあくなきこだわりと、自然光でしか絶対に撮らないというアティテュード。妥協できないんでしょうね、ここにメッセージのかなりの部分を背負わせているのでしょうから。スゲエ。やっぱりシンプルで良い映画です。
万人向けではないかもしれないけど、はっきり言えるのは、
映画でしか絶対表現できない世界を描いた作品だということ。
また、美しい映像と音楽にどっぷり浸れる映画館で見ることに、
すごく意義のある作品でもあります。
テレビ番組やCMはテロップにまみれ、
登場人物がストーリーを全て台詞で説明するような
映画ばかりヒットする。そんな今の日本だからこそ、
明確な説明や答えを提示してくれないこういう映画が
一人でも多くの人に観られるといいな、と思います。
そもそも人生に、説明や答えなんて無いですからね。
久しぶりに、綺麗な空 景色をたくさん
見ました。
なんか、癒されたような…
景色とお洋服の色が なんともいえない
雰囲気で とっても 素敵でした。
ストーリー まったく理解できて
いませんが 人生いろいろだなーって
思いました。
で、ベンアフレック素敵でした!