映画の話じゃなくて、意識の話。

去年あたり、『かもめ食堂』という邦画が
スマッシュヒットしたのを覚えているだろうか。
 
小林聡美さん演じる主人公が
フィンランドで小さな食堂を開いて切り盛りする中に、
スローライフをみせる作品だった。
 
荻上直子監督をはじめとした優秀なスタッフ陣と
脇を固めるもたいまさこ、片桐はいりなどの
雰囲気のあるキャスティングで、映画作品として、
よく出来ていたと思う。
 
実際、生半可な邦画よりずっと面白かったから、
荻上監督にインタビューもさせてもらった。
興行的にも、異例のヒットとなった。
 
 
だが、俺はこの映画の企画が大嫌いだ。
 
たぶん、誰かが俺の腹の中を覗いたら
ビックリするくらいグツグツと煮えたぎってる。
 
何がそこまで苛立たせるのか。
 
露骨で安直なムードの押し売りと、
無自覚な悪意が最悪だ。
 
これは、美意識の問題だ。
 
 
この映画で連想されるキーワードは、
 
“北欧”“おいしいご飯”
“淡色”“自然派”
 
あたりだろう。
 
だが、このキーワードは果たして、
テーマとなっているスローライフから
真っ直ぐ連想されたのか?
 
残念ながら、
そうだとは言いがたい。
 
仮にそうだとすれば、企画の人は
ビックリするくらい安易で純粋な思考の持ち主だ。
だが、ここまでヒットを生む映画の企画屋
(あえて企画“屋”と呼ばせてもらう)が
そこまでピュアな思考の持ち主とは思えない。
 
つまり、
映画作品が“スローライフ”という
生き方に指向するのに、“キーワード”が
先に存在している気がしてならないのだ。
 
世間にある潜在的、また顕在的な
北欧やそれにまつわる可愛らしいものへの憧れ
といった類のニーズに、スローライフという
これまた潜在的、顕在的ムードを絡ませた結果、
『かもめ食堂』という名の“商業企画”が
生まれたのではないか。
 
北欧とかの雰囲気は、行ったことないけど俺も好きだし、
スローライフとか、本当に良い動きだと思うのだけど、
それを絡ませて、「はい、スローライフ出来ました」的な
これ見よがしな露骨なムードを醸し出すのは、
やめて欲しかった。
 
本当に、誠意をもってスローライフを
提唱するのであれば、フィンランドである必要は一切ない。
物凄く似合ってるけどマリメッコの服を着て、
女3人、スローライフです!と主張されても、
ただ腹立たしいだけだ。
 
ニーズに合わせたビジネスだといえば
それまでなのはわかる。
だが、雰囲気を持って人に錯覚させるのは
単純によくないと思う。
 
たとえば、『パイレーツ・オブ・カリビアン』などは、
エンターテイメントど真ん中直球で、極めてまっとうな
映画だと思う。内容の出来云々ではなく、ベクトルとして。
 
だが、『かもめ食堂』は違うだろ。
これは、完全に錯覚の企画だ。
錯覚に気付かない人も多いし、だからこそ評価が高い。
そのあざとさに怒りを覚えずにはいられないのだ。
 
 
今度、同様の座組みで、
新作『めがね』が公開される。
 
この映画の舞台は南の島。どうやらいろんな事情で
南の島に行き着く人間たちがそこで暮らすうちに
生きることについて見つめなおすという作品のようだ。
もちろん、みんな、めがねをかけてる。
 
この作品が再び、錯覚の企画かどうなのかは、
これから観るので、まだわからない。
だが、もしこの企画が錯覚の産物なのであれば、
俺は、この制作チームの誠意と美意識を疑わざるを得ない。